ぷれーんぶれっど流『正論』

19歳、実質ニート。専門学校1年生。真面目なコトばかりブログにまとめていく。Twitterでの誹謗中傷や、同性愛問題、政治問題についての記事が多数。

【不謹慎厨】“批判殺到”に参加している暇人は幸せなはず...【不幸を選ぶ理由】

ネットには身長が低い人が多いので見下ろせます。

いや、特に何か別の意味があるわけじゃないけど。

 

 

 

批判大好きな暇人は絶対に幸せだ

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『絶対』という言葉を使っておきながら、ただの予想でしかないのですが。

 

わざわざ他人の事を気にして、他人の事を批判しまくっている人ってやっぱり暇人なのですよ。つまり自分の事に時間を使わなくていいくらい自分の生活が充実してるってことですよね。幸せだってことですよね。

いや、違うならコメント欄やTwitterのDM、リプライででも教えてくれたらありがたいです。

 

 

批判の目的って“コレ”ですよね

他人を批判するのにもやはり理由というのは存在するものです。

 

批判の目的ですが、結論から言いますと、『相手が好きなので、相手にもっと成長してほしいから』ですね。これは間違いのない事実なので反論は要りません。反論を生み出すことに労力を使ってほしくないので、反論をわざわざ無理やり作ることもしなくていいですよ。

批判している人は大半がツンデレなので、大抵の場合ここで『いやいや違うよww相手の事大嫌いだしww』とか言い出すのですが、この記事を見てくださっている方は流石にそのようなことはしないと信じています。

 

相手に直接アドバイスをするのが恥ずかしいから、少しキツめに遠くの方から『批判』という手段を使っているわけです。まさにツンデレって感じです。

 

 

不倫?薬物?ごめんどうでもいい

私は残念ながら不幸組、いわゆる負け組に該当してしまいます。不倫や薬物等、批判殺到してしまう話題(=幸せな人が集まる話題)に全く興味がないからです。

それくらい自分の生活に必死なので、他人の生活に目を配る余裕が無いのです。

 

他人の事を批判できなくなったら負け組ですよ。

不倫や薬物でニュースになった時、私は「自分には関係ないから無視する」って勝手に脳が決めてしまうので、批判に行動を移せないんです。残念ながら。

それって『相手の成長のための“批判”が出来ない=誰のためにもなれない』ってことですから、かなり損していますよね。幸せになるためには、他人に目を向ける優しさが必須ですから、私は負け組人生を歩み続けなければならないようです...

 

 

 

まだ“批判・批難”で消耗してるの?

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1000文字程度の茶番にお付き合いいただき誠にありがとうございました。

 

批判ばかりの人生を送っている人ってかなり不幸だなって、心底思います。なんで自分のために時間を使っていないのかが理解できませんね。

 

また、どう考えても、批判が大好きな人の批判って誰のためにもなりません。批判によって気持ちよくなることが目的となってしまっているため、その批判は既に“活かすことが出来ない批判”になっています。それを相手に無理やり押し付けているんですから、害悪ですね。害悪以外の言葉が思い浮かびませんよ。

 

 

批判でストレスが溜まる仕組み

批判(誹謗中傷や暴言等が含まれるもの)は、自分が気持ちよくなるための行動の結果だというのは今までの記事でも散々申し上げております。

ただ、実をいうと、批判を発することによって一番損しているのは自分です。まぁこのことについても以前の記事で少し触れているのですが、今回は違う角度から解説していきます。

 

 

批判するとストレスが溜まります。

 

批判は主に、嫉妬や八つ当たり、という成分で出来ています。この、嫉妬と八つ当たりについて軽く触れていきつつ、解説を進めていきます。

 

 

まずは1つ目、嫉妬という成分について。

相手が素晴らしすぎて純粋に褒めることが出来なかった場合に、わざわざ相手のボロが出ている部分を見つけ出して徹底的に叩いているわけです。

 

但し殆どの場合、ボロが出ている部分をどれだけ叩いたとしても意味がありません。元の人間が素晴らしいのには変わりないのですから、ボロが出たからと言って評価がガラッと変わることは極稀です。稀というか全くないといっても良いくらいです。

 

そうなると批判した側の人間は、やはりアイツには勝てないという思考になって、劣等感が何倍にも増えると思います。これがストレスの原因になります。

 

 

そして2つ目、八つ当たりという成分について。

自分の行動に結果が結びつかずに萎えている時、何故か『他の人間を貶めれば相対的に自分が上に行けるのでは』という思考になるようです。そして、成果が出ないことについてのイライラを他人に押し付け、八つ当たりという方法で解消しつつ自分の地位を相対的に上げようと、そう企んでいるわけです。

 

ですが、結局他人を叩いても、その他人が批判によって地位を落とすことは絶対にないですよね。もしあったとしても、批判している側のような超絶底辺の人間に関係しては来ないので、自分の地位が相対的に上がることはありません。

 

自分の努力で成果を手に入れることが出来ず、更に他人の地位を下げることも出来ない。そうなるとやはり劣等感が何倍にも増えます。1つ目の成分のお話と結論は同じで、コレがストレスの原因になるわけです。

 

 

 

何故わざわざ不幸を選んだのか

今の世界、特に日本って、誰でも簡単に幸せになれる社会だと思うんですよ。(その理由については別記事で解説する予定です。)

 

でも批判に時間を費やしている“暇人(笑)”っていうのは、自己成長が出来ずにストレスばかり溜まっていくので絶対に幸せにはなれない。自分のために時間を使わないことを自ら選んでいるわけですから、自業自得というべきでしょうか。

 

何故彼ら彼女らは自分で不幸の道を選んでいるのかが理解できません。

どう考えても、芸能ニュースなどでの“叩きネタ”は、国民を不幸のどん底に陥れるための罠なのに。何故それを好んで、更にそれに乗っかる形で批判を始めてしまうのか。

 

批判厨が不幸を選んだ理由、気になったので何度も考えました。

2つだけ、その理由らしきものが思いついたのですが、やはり理解はできませんでした。一応、この場で紹介させていただきますね。

 

 

1つ目が、不幸になるのが楽しいから、という理由。

いわゆるドM、というやつですね。

 

しかし早速ですが問題点が見つかりまして、それは『何故ドMなのに相手を攻撃する方法で不幸になろうとしているのか』という点。不幸になりたいのなら、攻撃される側でも問題ないはずなのですが....

いや、確かに攻撃される側の人生を歩むと幸せになれるよ、という記事を書いたこともあったので、攻撃されることが不幸に結びつくことはあまりないんですけどね。ただ、他からの攻撃を不幸に結びつけようと思えば簡単に不幸になれるので、別にそういった道を選んでもよかったはずなのですが。

 

何故ドMなのに他人を攻撃する方向に走ったのかが理解できませんでした。

 

 

2つ目が、他人に幸せになってほしいから、という理由。

以前からお話しさせていただいているのですが、勝ち組になれる人数というのは社会の仕組み的にある程度決まっています。自分から不幸の道を選ぶことによって、勝ち組になれる人間を減らそうという作戦だと思います。

 

こちらもすぐに問題点が見つかりました。それは『何故幸せになってほしいというのに、他を攻撃しているのか』という点ですね。攻撃に耐えられる人間にこそ幸せになるべきだ、という考えから、ある種の試練を与えているのでしょうか。

それでもやはりおかしいですね。勝ち組にならなくとも幸せになることはできます。“勝ち組→幸せ”というのは成り立ってしまうのですが、“幸せ→勝ち組”は成り立ちません。勝ち組を目指す人間が1人減ったところで全体的に全く変動はないと思いますし、そもそも勝ち組と幸せは違いますから。

以前に、炎上や批判は幸せになるための材料だとも説明しました。が、幸せになってほしいのなら、批判を与えるよりももっといい方法があります。単純に支援するだけでいいんです。1人で頑張って批判するよりもよっぽど効果が高いです。

 

ですから、この理由もしっくりきませんでした...

 

 

何故“批判・批難”で消耗しているのか、理由が一切分かりません。

分かる方がいらっしゃったら、コメント欄等で教えてくださるとありがたいです。

 

 

 

最後に:言い訳タイム

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ここまでの中で、疑問に思ったことが1つあるのではないでしょうか。

「あれ?じゃあ何でお前は批判厨を批判してるの?」って話ですね。

ちょっと言い訳になってしまうのですが、軽くそれを説明して今記事は終了とさせていただきます。

 

 

まず1つ、誤解してほしくないことがあって、それは『批判はすべて悪いわけではない』ということですね。

人間誰しも間違えることはあるモノです。それに一々反応していてはキリが無いですし、それに対して誹謗中傷等が含まれた批判をするなんて以ての外ですよ。

 

ただ、アドバイスではなく批判でないと、言うことを聞いてくれない人というのが出てきてしまいます。それこそが批判厨です。

 

批判厨は、批判は正義なのだと信じ込んでいる部分があります。

そういった人にアドバイス等をしたとしても、そもそもその人にとっての正義は批判のみなのですから、聞き入れてくれるはずがありません。ならば批判で分かってもらうしかないのです。

批判厨に対し批判を浴びせて、批判自体にあまり価値が無いことを学んでもらいたい。というのが私の思惑です。

 

 

いや、言い訳にしか見えないことなど重々承知しているのです。

 

「お前だってただの批判厨じゃん。」

はい、あえて否定は致しません。

 

ただ、私以外の批判厨を放っておくとどうなるかというと、批判に対してどう対応していいかわからない層が損をしてしまうんですね。

そういった層に対しての記事もご用意させていただいているのですが、やはり批判厨自体が消えてもらった方が効率がいいと考えました。

よって、こういった記事を作ったわけです。

 

 

最後になりますが、やはり批判は自分を苦しめることになってしまいます。

どうしても、例えば殺人鬼がとんでもないことを言っていたとか、そういった場合にはまぁ批判せざるを得ない状況かなとも思います。が、それでもやっぱり無視するに越したことは無いと思うんです。

 

 

批判するくらい暇なのであれば、そんなことはやめて、自分のために時間を使いませんか?