学校で得られるのは学力向上のみ。
人間としての価値の向上には全く効果なしです。
よって、不登校は不幸じゃない。
不登校を目指したいなら、私は全力で応援します。
ゆたぼんへの『イジメ』は教育の敗北です
ゆたぼんさんの挑戦は瞬く間にネット上で拡散され、マスコミも取り上げざるを得ない程の注目を集める騒ぎとなりました。動画再生回数は10か月で200万回に迫る勢い。驚くほどの有名人になりました。
しかし、この騒ぎは喜ばしいものではなかったのです。
現状は、見るに堪えないイジメでした。
ネット上での反応は冷たく...
Twitterの反応を見ると、ゆたぼんさんを攻撃するようなツイートばかり表示されます。不登校を馬鹿にするようなものまであり、非常に腹立たしい思いです。
不登校というマイナスイメージを持った言葉を小学生が堂々と発したことが、それほど多くの人間の怒りを買うような出来事だったのでしょうか。私は疑問です。
ネット上の反応は明らかなイジメで、大人気YouTuberであるHIKAKINさんすらもネタにしてしまうレベル。攻撃的な発言が合法であるかのような空気になっています。
不登校児と登校児の“レベルの差”
不登校児の主張に対し、登校児が攻撃を繰り返す。
レベルを付けて勝敗を決めるならば、誰が見ても明らかな、前者の勝利。
何故か、学校に行っている人は真面目で、学校に行っていない人は不真面目、という考え方が流行しているようです。いや...。本当にそうなのでしょうか...。
イジメの加害者が真面目であり、被害者は不真面目なのでしょうか。
バカな質問ですが、もう一度繰り返し聞いてみます。
イジメの加害者が真面目であり、被害者は不真面目なのでしょうか。
教育を受けた結果、加害者が生まれてしまうのであれば、これは教育の敗北と言わざるを得ないではありませんか。違いますか??
小学生YouTuber“ゆたぼん”の挑戦は失敗
ゆたぼんさんがYouTubeでの発信で言いたかったことは、日本人には一切伝わらず、完全な失敗に終わってしまったといっていいでしょう。
不登校は不幸じゃない。間違いのない事実ですが、この事実が日本人に受け入れられるのは数年後、遅ければ数十年後の話になってしまうでしょう。悲しいことです。
失敗に終わった原因は3つ
失敗に終わってしまった原因はたった3つだけ。
1つ目は、登校児の人間力が恐ろしく低いことを知らなかったから。
登校児が不登校児に全力で殴り掛かってくるなど、私であっても考えもしませんでした。現実は不条理です。世間一般的に真面目であるとされている人間が、実際は不良児だったなど、本来はあってはならない話なのですが。
2つ目は、一般的に、ネット上での発信に“真面目”はあり得ないとされているから。
ネット上で全力で訴えても、笑われてしまうだけです。ネット民にとってネットは遊ぶ場所です。いや、ネット民でなくてもネット上は遊ぶ場所だという認識が一般的でしょう。その常識に打ち勝つための力は、残念ながらゆたぼんさんには無かったと言わざるを得ないのです。
3つ目は、日本人の元々の体質である“変化への嫌悪”が邪魔をしたから。
学校に行くのが『普通』であり、それ以外は『異常』とされています。大多数が行なっている物事にNOを突きつけられると異常な程に反発を起こします。こう行った現状を変えることは簡単にはできないため、ゆたぼんさんの行動を成功へと変えるためにはかなりの年月が必要でしょう。
失敗はしたが終了ではない
今回のゆたぼんさんから始まった『不登校児の主張』は失敗しました。ですが安心してほしいのです。失敗=終了、ではありません。私たちは今後に期待するしかありません。
不登校を望む人間は皆さんが思う以上に多数存在します。頭がある程度いい人であれば、学校という存在がもう既に意味をなしていないことに気づいているでしょう。
そういった人が権力を持ち、主張した時が、我々の勝利です。不登校は不幸ではないことが証明されるわけです。
私たち、“事実に気づいてしまった人”は、不登校の正しい普及に全力で取り組むべきです。不登校を強制するわけではありません。不登校でありたい人間が不登校であり続けた結果、きちんとした意味もなく損をしてしまうような社会を、変えていこうではありませんか。
(現状の)学校は人間育成施設ではありません
学校では人として成長できる、だから学校には行くべきだ、と思っている方が多い印象を受けます。ただしそれは大きな間違い。学校は人間育成施設ではない以上、人としての成長という点において、学校が優れている事実はありません。
学校は学力向上施設です。ですから学校に行かなければ学力が低下する。これはまぎれもない事実です。ですが人としての基礎となる部分を向上させてくれる『教育』は学校では行なっていません。もし学校に行けば人として成長できるのであれば登校強制賛成派が誹謗中傷をぶつけるなどといったことは絶対に起こりませんよね。
本来あるべき姿とは
あくまで義務教育である9年間に限定した話にはなってしまいますが、本来、9年間で1番重要視しなければいけないのは学力の向上ではなく人間力の向上です。
現代では個性の主張によって金を生み出せますから、学力がない場合でも十分に生きることができます(苦労はするかもしれませんが)。ですが人間力が不足している場合、簡単に犯罪者になることが出来ますから、最悪の場合人生の大半を潰すことになりますよね。
学校がすべきなのは、国のために奴隷となって働く人間を育成することではありません。人として正しい方向に進むように、指導することなのです。
それが本来学校のあるべき姿なのです。
あらゆる害悪が邪魔する日本社会
ただしそう簡単に理想の状態には変化できません。そこにはありとあらゆる害悪が潜んでいるのです。理想へと近づけるためには全ての毒を一つずつ取り除く必要があり、かなりの年月を要することは容易に想像できます。
その害悪とは何か、ここでは文字数の問題により簡単にしか触れることが出来ませんので、後日別記事にて詳しく説明させていただきたいと思います。
日本社会の中で1番改善すべき点は、変化を求める人物に対して偏見を持ってしまうことです。簡単に言えば、日本人は大多数派から離れている人を攻撃してしまっているのです。
ゆたぼんさんは、学校に行かなくてもいいという意見を主張しただけですが、ネット上で大きなネタにされてしまい、ただのイジメの標的にしかなっていません。相手の意見を聞くことすらしていない日本社会は大きな問題を抱えていると思いませんか?
何故このような現実があるのに、学校は何も動かないのでしょうか。
学校が今すぐに取り組むべきなのは、学力の向上などではありません。
攻撃的な人間を更生させます
学校で無意味な時間を過ごしてしまい、攻撃的な刃物へと育ってしまった人間を、私は見捨てることなど致しません。
Twitterでの活動を基軸として、様々な人間を良い方向へと導くため、今後も努力してまいります。
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