結論:不登校は幸せです
学校に行く意味が無いので、不登校は不幸じゃない、どころか幸せです。
幸せになるためには、学校は不要です。
このブログ記事を最後まで見て、学校に行かなくても全く損をしないと気づいてくれた学生さんは、今すぐに学校をやめて、挑戦を繰り返してほしいと思います。
学校に価値が無い理由を早く知りたい、という方は、下に目次を用意しましたのでそちらをまずご覧ください。
- 結論:不登校は幸せです
- 根拠①:“不登校アンチ”が幼稚すぎる
- 根拠②:金を稼ぐために学業は不必要
- 根拠③:学校で“人間性”が低下する
- 根拠④:学校で教師に“洗脳”される
- 根拠⑤:学校内での“競争”のレベルが低い
- 再度結論:不登校は不幸じゃない
不登校アンチ?人間性?洗脳?
色々、疑問の出てくる言葉があるかと思います。が、何はともあれ、この記事を最後まで読んでいただきたいと思います。
今回のこの記事は、最後まで読まないとこのサイトに来た意味は無いといっていいでしょう。
是非是非、私の考えを吸収して、そして実践して頂きたいと思います。
よろしくお願いいたします。
根拠①:“不登校アンチ”が幼稚すぎる
YouTuberのゆたぼん氏、皆さんご存じでしょうか。知らない人は居ないのではないかというくらい有名になってしまった、不登校YouTuberです。(あくまで『有名になって“しまった”』です)
そんなゆたぼん氏には、アンチが多いですよね。ゆたぼんのパパもTwitterで活動をしていますが、アンチコメントが幾つも付いています。YouTubeの動画も低評価が多数です。
アンチがつくことに関しても色々と疑問はあります。アンチ行為自体が時間の無駄、価値のない行為だと思っているので。
ですが今回はアンチの存在意義については一切語らず、アンチの質についての批判を繰り広げていこうかと思います。
誹謗中傷が多すぎませんか?
ゆたぼんアンチに限った話ではありませんが、アンチという生き物に共通するのが、誹謗中傷の多さです。何故そこまで攻撃的なのか理解できないというくらいに攻撃的ですね。
「学校に行かなくていい」なんて言うなんてバカだろ、など、暴力的な言葉が非常に多く飛び交っています。流石に「死ね」なんて直接的な犯罪に繋がる言葉は使っていないようですが、それでも迷惑極まりない行為ですよね。
そんな人間になりたくないじゃないですか。
誹謗中傷なんて人生において全く必要ないし邪魔なだけ。
ここで、冷静になって考えてください。
学校に行け、と言っている人が大量の誹謗中傷コメントを残して、小学生を攻撃している、というこの事実。おかしいですよね。
学校に行かなくていい、と言っている人は誰も邪魔していないのに、学校に行け、と言う人は攻撃的な人間に育っている。
学校賛成派が幼稚で、学校否定派は冷静。
これだけ見ても、学校に行きたくなるかと言われれば、答えはNOです。
根拠のある冷静な批判を見たことがありますか?
学校に行け!と主張するのは実は素晴らしいことだと思います。学校に行かなくても良いとしている私から見ても、素晴らしいと思いますよ。自分の意見を主張できるのは素晴らしいんです。
ですが、“不登校アンチ”は一切素晴らしくもなんともない。
理由は『批判が適当だから』です。
先程も述べた通り、アンチの残すコメントには、誹謗中傷が多すぎるくらいに多いのです。誹謗中傷が目的なのかと思うくらい、中身が無いコメントになっています。
学校に行った方が良い具体的な理由のある批判があるのであれば、あぁなるほど、と思ってそっちの味方をするのですが、そうできない理由が幾つもあります。
その一つ目が誹謗中傷の多さであって、二つ目が批判の内容の薄さですね。
「学校に行けよ!義務だろ!」(学校に行く義務はありません)
とかいう適当な批判が相次いでいる以上、“不登校アンチ”を称賛することはできませんね。
“不登校アンチ”は批判に弱いです
実は今回のこの記事は、Twitter上に居る多くの“不登校アンチ”に対して送り付けて、反応を見てみようかと思っています。そういったことも私の『正論』を広めるために必要なことですからね。
まだ送っていない、記事を書き終えてもいない、書いている途中のこの時点で断定いたしますが、間違いなく駄々をこねる子供のように反発するでしょう。それこそ“ぷれーんぶれっどアンチ”と言えるくらいに誹謗中傷が送られてくると思います。
不登校児を批判して勝ち誇った気になっているのでしょうが、実際は恥ずかしい行為。それを批判するだけでまともに反応することも出来ずに反発する。
本当に学校に行って、“何か”を学んで成長してきたのか、疑うくらいにレベルの低い行為ですね。
前回の記事をツイートした際も攻撃的な、中身のないリプライがつきました。
不登校児がいなくなれば誹謗中傷が無くなる!よって不登校児が悪い!
不登校でもいいかもしれないけど、不登校は幸せにはなれない!(理由なし)
なんていうような、リプライですね。
批判されたことが恥ずかしかったから、ただ単に何も考えずに本能的に反発しただけの、中身のないリプライでした。
学校に行くべきと言っている人がそういった人間に育っているのであれば、学校に行かなくても良いことは明白ですよね。
根拠②:金を稼ぐために学業は不必要
学校で学んだ、国語や数学、理科、社会。そんなものは社会で役に立ちません。
...なーんてことは誰でも分かっているわけです。
ならば学校に行くのをやめるように勧めればいいじゃん、って話なのですが、世の中面倒な人ばかりでして、簡単にそうはいかないんですよね。
学業成績を良くしなければ企業に入ることすら許されない、というのは本当ではありますが、そもそも企業に入ること自体がおかしいので、この部分を少しだけ解説して生きましょう。
学業は奴隷になるための必須ツール
現代社会はなんだかんだ言っても学歴社会で、学歴が悪ければ他人からの評価がガクッと落ちます。学歴社会はやめるべきだと言われ始めてはいますが、人の思考というのは簡単には変わりませんから、そういうものなのだと諦めるしかありません。
学歴社会というのは、企業に属するために学歴が必要な社会の事を言います。
ですが、企業に属すること自体が不幸を生むのが現代社会なので、学業すら必要ありません。
企業に所属すると、低年収を強いられ、年収を努力によって上げることがほぼほぼ不可能です。時間に縛られ、低年収に縛られ、逃げ出すことも出来ない、完全な弱者となってしまいます。
しかし、フリーの身で居れば、自分の努力次第で年収を億単位で伸ばすことが可能です。企業に縛られていると、そんなことは間違いなく無理ですよね。
YouTuberが一番わかりやすい例で、有名YouTuberは年収何千万~何億という世界で生きています。しかもそういった人たちは学歴が低い場合が多く、学歴を主張して有名YouTuberになっているのは極々一部の方のみ。学歴が年収に結びつくことはありません。
企業に属する=奴隷となる、です。自分の人生を犠牲にして企業のために働くのです。奴隷と言ってもいいでしょう。
奴隷となりたいならば、学歴を上げるために学業を頑張るべきです。
幸せになりたいならば、学業を完全無視して他の場所に力を使いましょう。
根拠③:学校で“人間性”が低下する
人間性=人としての価値、という意味でお話を進めていきます。
学校に行けば間違いなく成長できる、というのを学校賛成派の意見としてよく見るのですが、それは大嘘です。学校に行くと時間を奪われるだけでなく、人としての価値すらも低下します。
嘘つきを強いられます
登校児は嘘が上手に育ちます。
具体例を2つ紹介しつつ説明していきましょう。
①欠席理由を誤魔化す
学校に行きたくない人は沢山います。ですが大人からの洗脳によって、学校に行かなければならないと思わされているので、子供は何故か学校に行ってしまいます。
そんな中で無理やり学校に行くのを辞めた人もいます。ですが、学校を休むのは至難の業で、親からも教師からも心配される、どころか怒られます。
そんな状況ですから、学校に行きたくない理由についての嘘をつくわけです。定番なのは仮病ですね。
学校に行かなくても生きていける、という正しい考え方が十分に広まっていないことによる弊害です。
②勉強を理解しているフリをする
親は学力を高めるために学校に通わせているわけで、教師としても学力を高めさせなければ自分の立ち位置が危うくなりますから、子供に対して学力向上を強要するのは良くある話です。
ですが、学業は向き不向きがありますし、子供としては分からないものは分からないわけです。どれだけ努力しようとしても拒否反応を起こすのは当たり前です。
そういった時にどうするかというと、やはり嘘をつくわけです。
数学が理解できていないと親から怒られる。だから教師から質問時間を設けられても、自分はこの勉強内容を理解しているのだと自分に対して嘘をつきつつ、教師に対しても嘘をつく。テストの点数が悪くても、学力が低下していることを親に知られれば怒られるから、嘘をついて逃げる。
繰り返しになりますが、こちらも、学校に行かなくても生きていける、という正しい考え方が十分に広まっていないことによる弊害ですね。
この二つの嘘が起きてしまうのは、大人が学力至上主義を持っており、更にそこに強制力を持たせてしまっているからです。出来なければ怒って無理やり勉強させるしかない、という意味不明な考えによって、子供は嘘をつくのが上手に育ちます。
嘘を上手につけるようになりたいなら、学校に通うのがベストです。
嘘つきに、簡単に、最速で、到達できます。
優しさを失います
学校に通うことにより、他人に向ける優しさという感情を、失うこととなります。こちらも具体例を出して説明していきますね。
皆さんは恐らく学校に行っていた側の人間だと思いますが、学校にいる間にイジメを見たことが無い人、というのは居ないと思います。それくらいにイジメというのは当たり前になっているんですよね。悲しいことですが。
そういったイジメですが、そのイジメを積極的に無くそうと努力していた人、居るでしょうか?答えは聞かなくてもわかるのですが、居ませんよね。
直接止めろとは言いませんが、教師に言うことすらも出来ない人は多いんですよね。
紙に書いて教師に渡す、程度でも何か動くことはあるとは思うんですが、そういったことですら出来ない、優しくない人間が学校にはたくさんいます。
そんな優しくない人間ですが、学校に所属すればするほど、優しさの欠如は加速していきます。
学校でイジメを根本的に排除していこうとしている教師は正直存在しません。教師自体が優しくないからです。
優しいのであればイジメという当たり前に存在しているものに対して必ず行動をとりますよね。人生を大きく変えてしまうことになるイジメを放っておくことは出来ないはずですが、教師は放ってしまっている。これこそが優しくない根拠と言える部分です。
その教師の元で生活していれば、勿論優しさが芽生えるわけはなく、むしろ加速しますね。
学校に通えば、イジメを見て見ぬふりを出来るように成長できます。
また、根拠①で説明したような、不登校児に対して誹謗中傷を送っている登校児も、優しくないですよね。
学校という場が優しさを植え付けるための場所として生まれ変わらない限り、学校に通うのはマイナス要素です。
こういったように、学校に行くと人間性は低下するのは事実なのです。
学業は生きるために必要ないし、人間性が高まるわけでもない。
学校に行く意味は...ないですよね。
根拠④:学校で教師に“洗脳”される
学校に行かなくても良い理由はまだ存在します。
学校に価値が無い理由、4つ目は『教師に洗脳される』というものです。
学校に行く理由として登校児がよく言うのは、様々なことを学び吸収するためというものなのですが、残念ですが学校で学べることは殆どありませんし、むしろ洗脳されて人としての個性を失うことになります。
格差洗脳
学校では教師の言うことは絶対です。歯向かえば教師から天罰という名の学業成績ダウンが待っています。
実際はそうなってくれたほうが学校に行かずに済むので幸せになるのですが、学生はそんなこと誰からも教わっていないので知らないわけです。
年功序列という意味のわからない社会の嫌な伝統が、学校社会で教師からの洗脳という形で身についてしまうのです。
また、学歴社会という嫌な伝統も、教師からの洗脳によって起きています。
学校では学業が全てであり、まともな考えを持っていても学業が上手く出来なければ教師から評価されません。いや、評価はされるのですが、最終的に学業が9割以上を占めます。
格差社会が未だに治らないのは、学校内での教師からの格差洗脳が大きく影響しているからだと思っています。教師は格差を意図的に作り上げています。
扱いに差が生じてしまうのは仕方ないと学生に思い込ませることによって得られるものは何なのでしょうか。
教師は自分たちは忙しいと言っていますが、実際はそうなのでしょうか。実際は忙しくないのがバレると嫌だから、成長する前の段階で洗脳しているのだとすれば、まさに日本の闇ですね。
就職=幸せ?
現状の日本で就職するのは無価値、というのは先ほど説明しました。
教師というのは残念ながら、就職を勧めてくる生き物です。無価値となっている就職を勧められるのです。もう既に学校には行きたくないですよね。
更に残念なのが、それ以外の選択肢、つまり就職をしないという選択肢を奪いに来るということです。就職以外の選択肢を潰しに来ます。
教師は、就職=正義だと思っているのでしょうが、現実は違うのです。なのに勧めてくる。これは邪魔で邪魔で仕方ありません。
「就職をしなければならない」と直接的に言ってくることはありませんが、就職をしない選択肢について全く触れないことによって、就職をしなければならないんだと生徒を洗脳してきます。就職しない自由を間接的に失うことになるわけです。
余談:政治的洗脳
あくまで余談なのですが。
政治的思想を植えつけて来ようとする教師も多いですね。
個人個人の持つ個性である、政治的思想を教師によって一方的に捻じ曲がった方向へ向けられてしまったら、大変なことです。
これは右派的思想であったとしても、左派的思想であったとしても、両方に当てはまらないものであったとしても、同じことです。子供を自分の政治思想の実現のために利用するなど許されません。
基本的に、政治思想を持つと不幸になるというのは以前もお話ししていますが、その不幸になった人間が教師になると生徒まで不幸にさせます。
その生徒が教師になれば、また生徒に対して洗脳を行う。これは負のループでしょうか。
根拠⑤:学校内での“競争”のレベルが低い
最後です。
学校内での競争のレベルが低すぎるため、社会に出たときに実力が上の人とまともに戦うことができずに、良い職へとコマを進めることが出来ない人へと育ちます。
学校社会は甘すぎます
小学生中学生の間では、基本的に圧倒的な努力をしている人が居ないため、簡単な努力を積み重ねるだけでテスト1位を取れてしまいます。
高校生大学生となってしまえば、それこそ同じレベルの人間しか周りにいないわけですから、努力を少しだけ増やすだけで戦えてしまいます。
そのため、努力をするだけで褒められます。圧倒的な努力をしなくても褒められるのが学校社会です。
ですが社会に出ればそうはいきません。
年齢というハンデを持っている人間を超えるためには圧倒的な努力は不可欠。ですが今までに学校で圧倒的努力をしたことがないため、努力量が足りずに、低給料が続くわけです。
努力をすることを学ぶために学校が必要というのであれば少しは理解してあげるのですが、これでは努力することすら学べずに学校社会を卒業し、就職することになります。
就職先でも努力を積み重ねれば人間として成長できるわけですが、学校に行くことによってそれすらも出来ない人間が育ちます。
偉人を目指すべきなのです
偉人になれとは言っていません。目指せと言っています。
過去の素晴らしい人間がどれ程の努力を積み重ねているかは、蓄積されたデータを持って、学生に伝えられるはずです。
ブログや動画で年商数千万を稼いでいる人は沢山居ますが、そういった人たちの話も無料で公開されているものもありますからそれを見せるのもよし。
とにかく、どうすれば幸せな人生を送れるのか、その道筋を学校側は学生に提示しなければなりません。それこそが学校がすべきことではありませんか?
適当に学業を押し付け、気づいた人間だけが幸せになっているのがこの世界。どうすれば多くの人間が幸せになれるのかなど、もう既に決まっているではありませんか。幸せになる方法を教えてあげれば良いだけです。それだけなのです。
既に幸せになっている、そういった人間たちは、競争を勝ち抜いています。運も必要かもしれませんが、努力は絶対的なパワーを持ちます。その努力の仕方を教えるためには、学校内での多くの強い競争が必要です。
弱肉強食の社会を止めるためには時間がかかりますから、弱肉強食社会でどう生き延びれば良いのかを学校側は教えるべきです。
学校が、偉人を目指して努力を積み重ねられるような人間になるように教育する場所として生まれ変わったとき、私も登校児と同じ意見を持ちます。
幸せになるためには競争力は必須です。
今の学校ではそういった競争力は教えられていません。
教えられていないどころか、甘い努力で1位を取れる環境に居るとむしろ競争力が低下するため、学校には行かない方が良いのです。
再度結論:不登校は不幸じゃない
不登校が不幸ではない理由、分かっていただけましたでしょうか。
ゆたぼんさんが攻撃されている現実を見ていられないので今回のこの記事を書くに至ったのですが、自分で思っていたよりも『学校に行く意味』が全く無いことに驚きました。
学校に行かなくても不幸では無い、なんてレベルの話では無いのです。
学校に行かない方が幸せ。これが現代の結論なのです。
勿論、数年前まではそんなことはあり得ませんでした。学校に行かなければ就職できないし、就職できなければ幸せになれない。これが数年前までの常識でした。
ですが今ならばネットでいくらでも仕事は見つかりますし、様々な方法で金が得られます。そんなことは学校では習いませんから学校厨は否定するでしょうが、事実は事実なのです。
学校に行かなくても良い。むしろ学校に行かない方が良い。
登校民は、これこそが正しいと気づくべきですよ。
勉強は必要です
勘違いしてほしくはないのですが、勉強が不必要とは言っていません。学校で勉強する必要は一切ないということです。
勉強とは言っても、国語や数学、理科、社会といった小中学校で習うものでは意味がありません。あくまでも、稼ぐための知識、法律等のルールに関する知識などの、生きるために必須となる勉強です。
どうすれば自分の力で金を生み出せるのか、どう努力すれば良いのか。そのような『学校で一切学ばない、人生において重要な勉強』を、自宅ですれば良いのです。
わざわざ学校に金を払う必要すらない。なんて素晴らしい時代でしょう。
学校に行くな
私が最後に言いたいことはただ1つだけ。
学校に行くな!
以上です。
馬鹿らしいと思われるかもしれませんが、そうしなければ幸せになれないのですから、仕方がありませんね。